七夕時分に仕事で外回りしていますと、笹に吊った短冊をあちこちで見かけます。ふと足を止めて、願い事の1枚1枚を見る。子どもが書いたであろう全部ひらがなの願い事は、とても無邪気で癒される。初詣などで、神社の絵馬に書かれた願い事を読むのも好きなんですが、あちらは年齢層が高めなのか、半ば切実なまでに怨念のこもったような願い事が散見され、癒されない。
「 ピアノがうまくなりますように 」 だとか 「 えいごがちゃんとしゃべりたいです 」 だとか 「 なんとかちゃんの足がはやくなおりますように 」 と描かれた短冊を、笹の下から仰ぎ見ながら、心がポッと暖かくなるその癒しの効能について考えた。
( ゚Д゚)ハッ!ここには、プラス指向しかない・・・。この笹に吊されたささやかながらも小さな願いの集合体が、思いのほかパワーを与えてくれていることに気付いた。( 最近疲れてるな、俺。) 笹のなかをかきわけ1枚1枚短冊を裏返しては見ていると、こんな1枚も・・・。
「 ひしょになれますように 」
謎だ。描いたであろう女の子のなにが彼女をして、ひしょに奔らせたんだろう?しかしあらためて、願うという事はとても大切で、願うことからもうその1歩は踏み出してるのかもしれないなーと、運転しながらしばらくそんなことを考えるのだった。