社会に出て、親元を離れ一人暮らしをするようになると(わたしはいまだ親元に寄生している身なのですが・・・)、学生時代までは感じることのなかった親のありがたみというものが嫌でも感じられるわけで・・・不肖わたくしも親の小さくなった肩幅を見ては、遅ればせながら及ばずながら感じ入ること大なここ数年であります。
わたしにとって大学生活の4年間という時間が、社会に出るまでのモラトリアムでしかなかったことに、田舎の中卒出のオトンはわかっていたのだろうか。どこに放りこんであるのかすら忘れてしまったわたしの大学の卒業証書が、やはり彼等にとっても財産と言えるのだろうか?そんな件が、ズバリ 『
東京タワー 』 のなかに書いてあった。帰宅途中の電車のなかで、繰り返し繰り返しその一節を目で追っては、ずっと俯いたままいることしかできなかった。
オカンが部屋に入ってきて、携帯を貸してくれと言う。長年の夫婦のカンってやつがピーン!と働いたらしく、バイトからの帰りの遅いオトンの携帯に電話をかけてくれと言う。呼び出し音が数回鳴った後、留守電に切り替わった矢先に、玄関のドアがガラガラガラーと開いて、オトンが帰ってきた。
オトンの右手は、真っ白な箱の包みをさげていた。もしや?と思って、「 なにも買ってこんでええよ! 」 と言おうと思ったオカンだったが、何十回目かになる結婚記念日をオトンは覚えていた。