香港からフェリーで入国した中国の旅も、ここ昆明(クンミン)でまる一月を迎えようとしていた。滞在猶予期間1ヶ月の観光ビザなので、そのまま昆明からタイのバンコクへと飛んだ。
1ヶ月の修行僧のような禁欲生活の果てに辿り着いたわたしたちは、ネオン煌めく大洪水のクルマの列に意外や意外、心の中で物足りなさと言おうか拍子抜けしたような感情を抱いていた。4000年の悠久の時とは名ばかりの共産主義が、穴の開いた靴のつま先から、寝癖でボーボーの髪の毛の先まで染みこんだ中国人民との、来る日も来る日も戦いの日々。さぞかし、タイは快適なんだろうなと来てみれば、10mも歩けばコンビニのあるその便利さは、日本にいる日常のように当たり前で、もう旅は中国で終わったんだという感慨すら抱かせた。
わたしは、この旅の1ヶ月ほど前にもマレーシアのクアラルンプールからマレー鉄道に乗ってバンコクまでの旅を3週間ほどしていたので、今回でタイは2回目だった。そんな訳で連れには、泣く子も黙るパチもん天国、MBK(マーブンクロンセンター)に3日を費やし、あとはアユタヤでも案内しとけばいいやって思っていたが、2人してこの気怠い喪失感にも似た感情・・・。不幸にも中国の大理(ダーリー)で先に別れて、ネパールに行った連れとカオサンのGH で待ち合わせしていっしょに日本に帰る段取りをしていたので、あまりバンコクから遠くに離れる訳にもいかず、だらだらとカオサンのすえた匂いのする飯屋で、朝昼晩カーオ・パット(焼き飯)を食す毎日を過ごしていた。
熱心な仏教マニアでもないわたしは、極彩色に彩られたワット・プラケオも、曉の寺、ワット・アルンも、ワット・ポーにも、ワット・ベンチャマポピッドにも飽き飽きしていたし、MBK の魔窟のようなパチもん屋を歩き回るにも疲れていた。
そんなある日、だらだらとスターチャンネルを横目に、テーブルの下に寝そべる野良犬に軽く蹴りをお見舞いしつつ、ガイドブック片手に、いつものようにカーオ・パットを食べているとガイドブックのある一文が目に留まった。
シリラート病院 犯罪博物館 / 外科博物館
このうだるような暑さにも、当たり障りのない観光地にも飽き飽きしていたわたしは、いっちょ涼みに行こうか!という気持ちで宿を出た。タマサート大学でシュプレヒコールをあげる学生デモを横目に見ながら、チャオプラヤー川を渡るとそれはあった。古ぼけた如何にも昔の大学病院然としたその佇まいに、どこにそれが?と思いながら中に入っていった。適当に階段を上がっていくと、教室の開いたドアの隙間から、机の上に載せられたピクリともしない素足と、笑顔でメスを奮うタイの女学生を見たような気がしたが、後戻りして確認する勇気はなかった。
目的のそれは、3階の突き当たりの教室にあった。さながら、それは 「 暗黒・人体の不思議展 」 といった印象で、新聞の三面記事に血みどろの事故被害者の写真を堂々と載せるタイのお国柄を反映してか、なかなかに鬱々とさせられるものだった。ご興味のある方は 「 シリラート病院 」 でググってもらうとたくさん出てきますので、後はご自由に。