そのとき、瞬間ふっと沸いた感情や気持ちとか自分が鬱鬱と抱える悩みとかを、不意にラジオから流れる歌詞の1フレーズに、あるいは映画の1シーンや台詞の中で、あるいは読んでいる本の中で見つけることがある。
いちばん最近でいえば・・・阪神優勝セールで沸く、六甲おろしが鳴り響く店内で買うものがなにもなかった、もう欲しいものがなにもなかったことに気付いたとき。帰り道の BEAT の車内で、オーディオに突っ込んだままになっている YUKI は、
“ 死ぬまでワクワクしたいわ ” と歌っていた。
当時気付かずに気にも留めなかったことが数年後になってみると、その意味するところが、視界の霧が晴れたようにわかることがある。
彼の人並みはずれた溢れるような寛容さの根源がいったいどこから来ているのか?著者は、彼の残した数々の著作の中からそれを見出そうとする。
《甘えるな、と自分にいいきかせても、これはどうしようもなかった。そして、私が生き続けようと思えば、残された手段は、人生の価値判断とでもいったものをいっさい放棄することだった。今後は、自分で自分の道を決めようなどという大それた考えを持たぬことだ、同時にそれは他人のすべてを不幸も幸福も含めて外界で生じるすべてを許容することだ。そう決めた時以来、私は、自由になった。》
ここから窺えるのは、自分は義の側に立てない人間だという認識が、自己放棄につながっていく契機である。そして、その自己放棄が、彼に諦念と見まごうばかりの寛容さを与えることになったのだ。 『 夕陽が眼にしみる 象が空を I (彼の視線 近藤紘一 より一部抜粋)』 沢木耕太郎 著 文春文庫
自分の中でも整理のつかない気持ちや感情を、それらの中に見出し寄り添うことはときに簡単で、きっとそれらは骨折時の添え木のような役割を果たしてくれよう・・・だからといって、いつまでも添え木を付けて生活できないのと同様に、過去の挫折や過ちや痛みといったものを自分の骨にしなくては、と考えるのだ。