新聞夕刊紙のレジャー情報欄に、和歌山・淡路沖で太刀魚の釣果が掲載されたのを契機に、今年の釣りシーズンの幕開けを告げる。
早速、WEB で乗り合い船の情報を検索し予約の電話を入れる。明朝 AM4:00、阪和道を南へと PASSO を走らせた。AM6:00 前には谷川港に到着。
AM6:30 いずみ丸出港。友ヶ島を左に見て、由良沖を目指す。船からの太刀魚釣りははじめてだったので、手持ちの竿とリールをセットして持ってきたら、周りの乗客たちの本気の装備にあ然・・・。スピニングリールはわたしだけだった・・・他は皆両軸リールないし電動リールを手に持つ人も・・・。
幸いにもわたしの持っているリールにはPEラインがセットしてあったが、もうひとつの方はナイロンラインだった。ナイロンは伸びるので、海底80m 前後までいく由良沖では底着きがわからないし、それよりなにより太刀魚のあたりがわからないので、ナイロンで釣るのは難しいと思うよ、という名人のアドバイスを聞き1本はレンタルすることに・・・。
「 兄ちゃんも腕もへたれやねんから、そんなしょうもない竿とリールでどーする!素直に、レンタルのこっちの竿を使っとけ。 」
とスタッフのおじさん?から檄が飛ぶが、腕はともかく、この竿とリールでどこまで通用するかどーかまずは自分で体験してみないと気が済まないというか、あわよくば大物を釣り上げて、「 出来る 出来るのだ 」 と見返してやろうという、聞き分けのない紅蓮の炎が心中で燃えさかるのだった。
「 ポン♪ 」 という警笛の合図とともに、仕掛けを海中へと投げ入れる。底着きするまで、ドラムの糸を送り出すが、はたして80m もの海中まで糸が足りるのかどーか不安だったが、ドラム基部が見えるぐらいにギリギリで足りたので、とりあえずホッとした。
底着きしてからしばらく巻き上げる。左手で持った竿を持ち上げては2~3巻きし、しばらく静止。また竿を持ち上げて2~3巻きしては静止を繰り返して、太刀魚のいる棚を探る。
そーこーしていたら、隣の名人が早速1匹を釣り上げた。他でもちらほら釣れだした。海中深くにいる太刀魚の当たりがどんなものか想像もつかないので、隣の名人の一連の動作を盗み見しながら、リールを巻き上げる。餌の鰯(いわし)を付け替えて何度目かの巻き上げをしていると、竿がしなるぐらいにグウゥンと重い感触が!?太刀魚が餌を喰わえこんだのをみて、竿を勢いよく1度引く。( 2度3度としゃくったら、「 合わせは1度でええ。2度目以降は、太刀魚の口を壊してバラすことになっぞ! 」 と船頭さんに怒られた )
そこからリールを巻き上げるが、お、重い・・・。漸く海中深くから白銀色に輝く、まさしく名前の通りの日本刀がゆらりゆらりと姿をあらわした。
「 ( 剣はまだ俺を見放していなかった ) ・・・・・・。 」
と、内心シグルイづくわたし。
「 こりゃー、大きいわ!こんだけ太かったら脂のって旨いで。今日の1、2やで! 」
ということばに、計ってもらったら 120cm だった。腹部で指4本だった。ハハハ!さすがは俺やで!「 弘法筆を選ばず 」 とはこのことやで!ともう満足だった(笑) その後で、小さいもので70cm 。だいたい100cm前後のものを数匹釣り上げて、計6匹の釣果となった。ちなみに、竿頭は隣の名人の13匹だった。
帰宅途中に泉州の水なすを買って、その晩は太刀魚尽くしとなす料理の食卓となった。「 弘法筆を選ばず 」 とはいっても、
空海自身は、よい書を書くためにはその時々によって筆を使い分けるべきであると言ったと伝えられている。「弘法筆を選ぶ」として、逆の意味のことわざとして用いられることもある。( Wiki 調べ ) とあることからも、それに応じた道具はやはり必要と強く思ったのだった。