物件探しを開始してから、約1ヶ月半が過ぎようとしていた。当初の100件とはいかないまでも30~40件以上は見てまわったような気が・・・。数だけはたくさん見たのが良くしたもんで、モデルハウスを見たときの 「 うわぁー。 」 という感嘆にも似た喜びの声を上げることも少なくなっていった。
同じような敷地面積に建っている家なのに、開放感に溢れていたり閉塞感を感じたり、なにかしら一工夫してあったりなかったり、それがインテリアの趣味だとかそーいったものだけでは済ませられない、心にフックとしてひっかかる物件はやはり間取りがいいのだろう、と間取りの大切さがわかりだしてきた。
同じく物件を見てまわった父と、「 あそこの物件は、もひとつやな。あそこの間取りは良かったな。 」 と意見の一致を見ることが多くなったのも、少なからず目が肥えてきた?証拠・・・。
もう近場の物件では見るところがないぐらいに見てまわったので、随分と足を伸ばして遠くの分譲地へ行くこともしばしばだった。良くしたもので、離れれば離れるほど同じ金額でも土地面積は倍々になっていった。いつしか自然緑が豊かな荒野のような立地に建つモデルハウスのなかで、わたしは考えるのだった。
毎日の通勤の利便性を考えるか、クルマも2台置けるゆとりのある我が家を考えるか・・・自分のなかに沸々と湧く思いに、わたし自身もっとも意外に感じたのが実家やその沿線圏内に対する拘泥だった。旅行好きなこともあったので、生来の根無し草のように、全くの新天地での生活にそれほど抵抗のない自分を想像していたら、この見知らぬ荒野のような土地でこれから生活することを想像すると、期待や希望よりも不安が念頭に浮かんだのは意外だった。
ガンダム最終回のアムロの 「 僕にはまだ帰れるところがあるんだ。 」 とともに見せる涙は至極当然のことで、帰属意識からくる絶対の安心感は何ものにも代え難い。わたしが想像していた以上に、実家や地元、沿線圏内という引力が思いの外強く、スペースノイドの民と足り得ない自分に驚いていたのだった。
そんな折り、とある物件を見つけたのはちょうどGW が始まった4月末のことだった。
次回、第9話 「 翔べ! グランドビル 」 君は生き延びることができるか?