あの御手洗潔が係わった占星術殺人事件も、解決の目を見たのは発端となった事件から数えて40年以上も経ってからのことだった。( 『 占星術殺人事件 』 島田荘司 著 講談社文庫 ) 物語上、幾多の好事家がやっきになってその事件の真相に迫ろうとしたが、終ぞ解かれることはなかった。実に40年以上にわたって、手つかずの謎が眼前に剥き出しで存在したわけだ。誰しもが解けなかった謎を、もしや自分が糸口を見出し解き明かすことが出来るのでは?という功名心にも似たロマンこそがミステリーの醍醐味とするならば、映画 『
ゾディアック 』 にもやはり心掻きたてるなにかを感じずにはいられない。
1968年を契機に、アメリカで起こった全米史上初の劇場型殺人は、後世に続々とフォロワーを生んだ。自らをゾディアックと名乗り、各種メディアに暗号文を送りつけ、次々と殺人を繰り返す。いまだ未解決のこの一連の事件を題材にメガホンをとったのが、『 セブン 』 『 ファイトクラブ 』 のデビッド・フィンチャーとあれば、なにを置いても観に行かねば・・・。
なんでも映画を撮るにあたって、徹底的なリサーチを行ったところ、デビッド・フィンチャー自身が新たな証拠を発見し、警察に届け出たとか・・・。それも然もありなんと思わせるだけの、スクリーン上で展開される情報量の多さ。スタイリッシュであり奇抜な?映像で魅せる独特のフィンチャー節は形を潜め、どちらかというとオーソドックスな印象。実に2時間37分という長編を、最後まで緊張感を途切れさせない見応え十二分な作品に仕上がっていた。
ゾディアックの謎に取り憑かれた3人の登場人物。担当刑事、クロニクル紙の新聞記者、クロニクル紙の風刺漫画家・・・彼らは真実を解き明かそうと、ゾディアックの謎を追うばかりに、自らを、自らの家庭を崩壊させていく。『 セブン 』 で、ジョン・ドゥーを追ったミルズ刑事(ブラッド・ピット)の最後もバッドエンディングだったか・・・。
いまなお未解決の事件ということは、この映画のラストがどのようなものにならざるを得ないか?容易に想像できよう。何年にも及ぶ捜査や追求は、やがて人々を疲れさせ、やがてゾディアックは犯罪史上の人として語られる。誰しもが関心を示さなくなったとき、クロニクル紙の風刺漫画家ロバート・グレイスミスがもう1度事件を洗い直そうとする。そこから本作の原作者、グレイスミスの目を通した、監督のデビッド・フィンチャー自身の解決編というべきものが語られる。警察の捜査線上にも上がったある人物。限りなくクロに近いし、すべての状況証拠が彼を指し示すのだが・・・。
最終的には、デビッド・フィンチャー自身が考える真犯人の実名を提示(!?)するが、ゾディアックというずりネタを目の前に、冒頭からナニをしごかれるようにギンギンに高まった緊張感を放出するには、いささかフィニッシュが弱いと感じた。