小学5~6年生の時分だったか・・・空前のラジコンカーブームが大津波のようにやってきて、6年1組男子のほとんどを瞬く間に飲み込んだ。そんなわたしもタミヤのラジコンが欲しくて欲しくて仕方なかった。K くんのお兄さんが、バギーチャンプをガレージで走らせているのを見て、それまでの子供向けRCカーではないスピード感に魅了された。
まわりの友達は、小学生高学年でありながら、RCキット、プロポ、バッテリー一式3万円はするかというタミヤを続々と買っていった・・・
ワイルドウイリス、マイティ・フロッグ、グラスホッパー・・・オンでもオフでもどこでも走れるバギーカーが当時の多くの小学生をして、「 中空バギータイヤ・・・フフフ、水たまりさえ走り抜けてやるぜぃ。」 とか 「○○くんがプロポを27.045MHzの周波数で青のリボン取ったから・・・くそー、くそー、
早く俺も買わなければババ色かピンク色のリボンになってしまうー。*1 ババ色だけは避けなくては・・・。 」 とか、当時500円のタミヤ ラジオコントロール ガイドブックを教科書にそれはそれは熱い夢を妄想し、語り合った。当時、なんでそんなに高いRCカーを買えるのか?と周囲の友人に聞けば、「 お年玉から。」という答えが返ってきた。
わたしの家は、お年玉=親預かりという当然とも思えるルールがあったので、1年の途中でなにかそーいった大きなおもちゃを買ってくれるという環境になかった。それに、1ヶ月の小遣いが1,500円のわたしにとってみれば、30,000円という金額は夢のまた夢だった。当時を振り返るとよくしたもので、我が家には、○○賞(○○部分はわたしの名字)というものがあった。通知票でいい成績を取ると○○賞1つとか、お手伝いを死ぬほどすると○○賞1つ、子供会のドッチボール大会とかソフトボール大会で勝つと○○賞1つとか・・・とにかく10個集めて、たしか2000円ぐらいのお小遣いがもらえた。すごいシステムを導入したものだ>うちの親 通知表を開けて、「やったー!○○賞3つもんやー!」 とか教室で叫んでたもんなぁー、俺。
それからというもの貯金に励み、半年ほどで15,000円ほど貯まったある日、駄菓子屋の軒先で、「
JUMP BUG 」 というテレビゲームに出会ったのが運の尽き。放課後になると一目散に駄菓子屋に向かって、1PLAY20円の JUMP BUG をしたっけなー。1ヶ月足らずで5,000円ほど使ってしまったことが親にばれて、ひどく怒られた。ひどく怒られたことより、そーいったギャンブル的なものにはまって、あっという間にお金を使ってしまったことに自分でも衝撃を受けて、「 や、やばい。俺はギャンブルをやるとあっという間にお金をすってしまう性格だ・・・。」 と、それがトラウマになって、以後賭け事には極力近寄らないようになりました。
RC の方は社会人になってから、タミヤのALFA ROMEO 155 V6TI を大人買いしましたけど、もうその頃にはラジコンでいっしょに遊んでくれる大きなオトモダチは皆無で、しょぼーん・・・。
*1・・・RCカーに許されている周波数帯によって、プロポのアンテナの先に付けるリボンが色分けされていた(当時)。同じ色(周波数)同士のRCは、混信して走れないので、早く買って自分の好きな色のリボンを手に入れなければいけなかった。