ある日、男がボタンの付いた箱を持ってくる。このボタンを押すと、あなたに1億円を差し上げます。しかし、あなたの知らない誰かが1人死ぬことになります。「 明日、このボタンの付いた箱を回収に来ますので、ご自身で決断してください。 」 と言って、その男は箱を置いて帰っていった。
このはなしを聞いたとき、それこそ宝くじで3億円当たったらどーするか?的な普遍的なテーマ?で、映画を観終わった後もこの映画について盛り上がれることを想像したが、ちょっと想像した映画と違っていて、半ば置いてきぼりを喰らった感ありありなのだった。
ボタンを押すことで、知らないとはいえ、誰かが死に自分の手元に大金が転がり込んでくる。人の生き死にに係わる
運命のボタンを押すわけだが、そこから得られる教訓めいた寓話的なストーリーを勝手に想像していた。しかし、このストーリー、結構ヘビーなのである。それは、主人公のキャメロン・ディアスの足についての描写や運命のボタンを持ってくる男の容姿にしてから、重いんである。
もちろん、ボタンを押さないことにはドラマが始まらないから、キャメロン・ディアス自身が結構早い段階でボタンを押すことになる。翌日、男がやってきて、1億円を手渡されることになる。が、しかし、ネタバレになるが言ってしまうと・・・・・・
運命のボタンを押したことで、あなたの知らない誰かが死ぬことになったが、運命のボタンを押すことで、今度はあなたが、次の運命のボタンを渡された者にとっての知らない誰かになるということなのである。世界の果てに暮らしている知らない誰かではなかったのである。因果応報、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!なのである。 ここまでは面白い。
しかし、ここから物語はあらぬ方向に進んでいく。運命のボタンの付いたこの装置とは何なのか?これを持ってくる男の正体とは?どーいう意思をもってやってくるのか?等、ここからの展開はオカルト以外の何ものでもない。わたしが知りたいのは、そんなことではなく、結局この映画は何が言いたいのか?どーいう風に解釈すればいいのか?ということなのに、このオカルト展開にやきもきさせられる。
オカルト的展開の前に、思考停止状態のわたし。この展開が本筋じゃないことをわかりながらも、わたしの興味はこの物語から急速に乖離していった。